気候変動問題の解決はなぜ難しいのか:環境問題ではなく、エネルギー・経済問題としての温暖化

掲載期間:2022-12-06 記事ソース:

気候変動問題は世界中の関心を集めるグローバル・イシューとなったが、解決の道筋は見えない。筆者は、気候変動問題は環境問題ではなく、エネルギー・経済の問題として、「技術の力」を推進力とすべきであると指摘する。


減少に向かわないCO2排出量

2015年12月12日。パリ協定が採択されたCOP21(国連気候変動枠組条約第21回締約国会議)の会場は、地鳴りのような歓声と興奮の渦に包まれていた。「これで地球が救われた!」と泣き出す若者もいて、筆者は「後から『あの時世界は変わった』と思う瞬間をいま過ごしているのだろうな」と寝不足でぼんやりした頭で、感慨をもって会場の熱気を味わっていた。そのわずか6年前、09年のCOP15 ではデンマーク政府の運営の稚拙さもあって、京都議定書の後継の枠組み作りがとん挫し、国連の下での交渉スキームへの信頼性も失われていたことを思えば、目標達成の法的義務はないとはいえ、全ての締約国が参加する枠組みが採択されたことは、まさに感慨深いという一言であった。

しかし同時に、それまでもこの交渉を見てきた経験から、この合意を得た瞬間が頂点であり、後から振り返れば「終わりの始まりであった」となる可能性もあると、ひんやりした気持ちも感じていた。

このパリ協定の採択から6年以上が過ぎ、わが国を含む世界150カ国以上が年限付きのカーボンニュートラルを掲げている(2021年11月時点)。金融界もこぞってESG投資を掲げ、化石燃料への資金提供をやめ、持続可能なエネルギーへの投資をうたっている。しかし、これだけ気候変動問題への関心が高まっているにもかかわらず、状況ははかばかしくない。

新型コロナによる経済停滞で世界の二酸化炭素(CO2)排出量は一時期減少したものの、各国が経済復興政策を進めるに伴い、急速に増加している。2021年11月初旬、21年の世界全体のCO2排出量は新型コロナウイルス流行前の水準に戻るとする報告書が公表されている通りで、減少傾向に転じることすらできていないのだ。

人類は産業革命以降、化石燃料(石油、石炭、天然ガス)と呼ばれる非常に高密度のエネルギーを使うことで、経済発展を続け、CO2排出量を増加させ続けてきた。ごく短期間、減少に転じたときもあるが、それは大きな経済停滞が起きたときのみである。大恐慌、オイルショック、リーマンショック、そして今回のコロナショックである。ただこうした経済停滞によって一時的にCO2排出量が減ったとしても、それは省エネ投資などによって削減したわけではなく、経済復興とともにCO2排出量もV字回復をすることとなる。

過去、GDP成長率とCO2排出量の間には基本的に強い相関関係が認められるのだ。近年、GDPは成長しCO2排出量は減少するといった事例も散見されるが、個別事情によって説明できてしまうものが多い。ここから分かるように、気候変動問題はエネルギー問題であり、経済問題としてこれを扱わなければならない。人々のちょっとした心がけなどで解決する問題ではないのだ。

環境と経済の両立には何が必要か
政府が目指すように環境と経済を両立させることは、現在の社会・生活を支える化石燃料よりも安価で安定的な低炭素エネルギー技術によって初めて可能となる。化石燃料よりもコスト高である限り、補助金等の負担によって導入を進めることになるので、特定産業だけでなく、経済全体が成長することは期待しづらい。この本質と向き合う必要がある。

CO2削減を推進する力としては、規制の力、資本市場の力、そして技術(製品・サービス)の力の3つがあろう。規制による削減は強い実行力を伴うが、やりすぎると劇薬になってしまうし、下手な規制は、世の中の資源配分を非効率化する要因にもなる。また、CO2削減だけを目的とした施策による弊害が出ないようにしなければならない。

例えばフランス議会は2021年7月に、複数分野に急進的な社会変容を定めた気候変動対策法を可決している。酪農によるCO2排出量が多いので、学校給食で菜食メニューを毎日提供する、鉄道で2時間半以内の短距離区間については航空路線を廃止する、といった内容も含まれている。多くの賛否があろうが、CO2排出量というだけで決められる問題ではないように筆者には思える。

資本の力は現状、企業セクターを動かす大きな原動力となっている。しかし、資本は手段であり、資本投下により新たな解決策が登場しなければ健全な“脱炭素”につながらない。国際エネルギー機関(IEA)は、再生可能エネルギーなどへの移行が進むことによって化石燃料の需要は低下し、それに伴って価格も低下する前提でカーボンニュートラル社会へのシナリオを示しているが、足もとで起きていることは真逆だ。化石燃料の需要は減っていないにもかかわらず供給が十分ではないので、エネルギー価格が高騰し、特に化石燃料を海外からの輸入に頼るわが国では「悪いインフレ」を引き起こしつつある。
脱炭素は、生産物市場でイノベーションを起こし、技術(製品・サービス)の力で実現するよりほかない。規制の力や資本の力は、それを促す力と考えるべきなのだろう 。

電化と水素活用がカギに
イノベーションを進める必要性を説くと、「今ないものに頼るのか」と批判を受けることがある。ドラえもんの降臨を待とうと言っているような不真面目な印象を与えるらしい。しかしそれは、イノベーションに対する誤解である。イノベーションとは、今ある技術のコスト低減や利便性を高める改善の積み重ねであり、今ある技術でできることも多くある。

大幅なCO2削減のセオリーは「需要の電化×発電の脱炭素化」である。筆者は2017年に上梓した『エネルギー産業の2050年 Utility3.0へのゲームチェンジ』(日本経済新聞出版)で、現在商用化されている技術でこのセオリーを徹底することにより、CO2排出量を70%程度削減できるポテンシャルがあることを示した。

これまでの政府におけるエネルギーの脱炭素化の議論は、発電の脱炭素化に極端に偏っていたが、電力が最終エネルギー消費に占める割合(電化率)は30%に過ぎない。これは、海外諸国に比べて低いわけではないが、最終エネルギー消費の7割は化石燃料を需要場所で燃焼させているわけであり、これらの需要への対策なしに電源の低炭素化だけを進めても、CO2の削減効果には限界がある。

目標がカーボンニュートラルに変わっても基本は同じである。すなわち、最終需要は可能な限り電化する、電化が困難な最終需要については非化石発電由来の水素を活用することが有力な手段となる。ここでいう水素は、アンモニアをはじめとする水素キャリアも含む概念になる。そして、その水素は、当初こそCCUS(CO2の回収・利用・貯留技術)を伴った化石燃料由来のいわゆるブルー水素から入るにしろ、今世紀後半には再生可能エネルギーや原子力の電気に由来するグリーン水素が大半を占めるようになるだろう。

このセオリーを進める上で必要なのはまず、「低廉・潤沢・CO2フリーな電気」の確保だ。太陽光発電や風力発電などの自然変動電源は世界的にみれば急速な価格低下が進んでいるが、日本の再生可能エネルギーは割高で、メガソーラーの建設コストは世界平均の2倍である。コスト高の原因はいくつかあるが、現在の補助政策が手厚すぎ、競争力ある産業が育ってこなかったことも指摘できる。わが国は既に太陽光発電大国であり、世界第3位の導入量である。雑な補助政策により、エネルギー事業として再生可能エネルギーに取り組むのではなく、投機的な事業者の参入を多く許してしまい、その結果として、いま地方では再生可能エネルギーに対する批判的な声が高まってしまっている。

国土条件の悪さも考えれば、さらなる低炭素電源の確保には、原子力発電の問題から目を背けるわけにはいかない。わが国は福島原子力発電所事故以降、安全規制を根本から見直し新たな規制基準に合致しない限り稼働を認めない方針を採るため、震災以降10年近くほとんどの原子力発電所が稼働していない。加えて全面自由化により投資回収の予見性を低下させてしまったため、原子力発電事業はもはや民間企業で担える事業ではなくなっている。しかし、脱炭素と脱原発の二兎は追えないことを直視する必要がある。

脱炭素電源の確保だけでなく、需要の電化を社会全体で進める必要がある。特に長期間利用する建物や自動車などについては、対策を急がねばならない。米カリフォルニア州の複数の自治体で導入された、新築建物にガス管の敷設を禁止する条例や、各国が導入するガソリン車やディーゼル車の製造・販売の禁止などの施策を参照して、電化を促していくことが求められるが、人々の生活や雇用・産業構造など広範な影響を与えるため、丁寧な議論が必要だ。

ビジネスモデルの転換も必要
カーボンニュートラル社会への転換は、産業革命の3分の1程度の期間でそれ以上の変革を実現しようとする試みだ。産業革命の期間は諸説あるが、1760年ごろから1840年ごろとする説に従えば約80年を要している。一方、2050年までに残された時間は30年を切っている。

また産業革命は、それまで使っていた木質系の燃料よりもエネルギー密度が高く効率の良い石炭へのエネルギー転換であったため、社会に富が生み出されて革命を推し進めた。一方でカーボンニュートラル社会への転換は、エネルギー密度が薄い太陽光や風力発電への切り替えが主力とされる。これらの切り替えだけで富が生み出されることは期待しづらく、何かしら付加価値を高めるビジネスモデルの転換が革命の推進力に強く影響するだろう。例えばガソリン車やディーゼル車から電気自動車への単なる乗り換えではなく、カーシェアリングなどによる移動サービスの提供などが考えられるだろう。